2-11大学時代の勉強について

概要

 河合先生とのマンツーマンでの講義。差別的発言にあたるのかもわからないまま自分の意見を話した。授業の合間に紹介された本を読んでいくと「障碍とは個性である」等といった主張に論理的な裏付けがあること、また障碍を個性と捉えることで生じる誤解があった。人の捉え方としてICF、重症なのは自分たちの目であることを述べた糸賀一雄の言葉に心が動いた。

 

どのように楽しかったのか

 日常生活の中の何気ない考えに学問があって、広く深くあることを知った。障碍の分野で安易に発言できないと怖くなったが、若いうちに失敗しとこうと思った。自分の視野や考えが広がっていくことが楽しかった。学んだことを踏まえて友人との会話の話題にすると、多くの人は無関心であり悲しかったり、改めて学ぶことがあった。初めて講義、読書が楽しいと思えたことが楽しかった。習ったことを話すと価値観がぶつかって面白かった。

 

なぜ楽しいと感じたのか

 将来に繋がる分野で心が動いて主体的に行動することが初めてだったから。他の人は学校の勉強、就活に不満を持って生きている、自分もまたそのように生きていた人生から抜け出せたと思った。

 自分の思っていた障碍者への価値観が明るい方向に分かりやすく変わったから。当時思っていたことを述べると障碍は程度があって重症の人たちは社会に生かされている、意志のないような人で、生産性がないと思っていた。そうではなく「重症なのは私たちの目である」の言葉に目を覚まされ、「どんな人もその人にしかできない自己実現をしている」言葉をいう日本人がいることが感銘を受け嬉しかった。障碍は人によるのがすべてではなく、環境にあることに驚いた。私たちはメガネがあるから障碍者ではないのだ。焦点を当て方を変えるだけでマイナスがプラスになる。そんな人生を送りたいし、多くの人に送ってほしい。

 線を引くことは誰かの主観でしかなくて外れる人は必ずいる。

 

今になって感じること

 夢が溢れていた時間だった。夢ではなく現実にしていくためのスモールステップを獲得する必要がある。国際生活機能分類という世界が示す目標を学んだこと、現在の特別支援教育を切り拓いた先人がいることを学んだ。自己実現をしていてそれが素晴らしくてよいのだという社会ではない。

 お金を持っている人、稼ぐ人が、やりたいことを実現させていく。例えばcuneの服を短期間にたくさんほしいとなった時には、「短期間で」をあきらめないといけない。障碍のある人がビジネスをする例は飲食が多いし売り上げを伸ばすことに価値を置いていない。それでいい人もいればそうでない人もいると思う。障碍のある人が給料を超えたものがほしい時に、我慢してためるのではなく、副業や転職といったことまで考えることが出来る社会があったらいいな。